ここでいきなりワタシの競馬歴について語ってみようかと思う。
年齢の割りに長い。
ちなみにワタシの年齢はというと、記事のどこかから推測できると思う。
競馬をやり始めたころはオグリキャップ、スーパークリーク、イナリワンなどが古馬戦線で走ってた時代。エリザベス女王杯でサンドピアリスが単勝4万馬券をぶち上げたときはいったい馬連(当時は枠連しか売っていなかった)で買うとどれぐらい付くのだろうなんて言ってたっけ。
馬券の方は馬連・ワイド、馬単、3連複、3連単と発売券種が増加していき、いまでは1000万馬券もたまーに出る。
「特払い」はいつかという興味もあるが、発売枚数も多いJRAに「特払い」を期待するのは酷だ。
※特払い:的中者がいなかった場合購入者全員に対し100円の投票券につき70円を払い戻す制度。JRAでは昭和46年の福島以来出ていないらしい。
さて、歴史に戻ろう。
改修で開催が変わったというのは、どこかしらで経験がある。
最初の年の札幌競馬は1開催で1000か1700(当然ダート)しかなかった。
阪神大震災も経験した。京都が8連続開催、6月に2日(阪急杯と宝塚記念)、9・10・11月に開催と京都ばっかりでの開催になったなあ。
あとは…
菊花賞が2週間早くなったり、宝塚記念は6月中旬に行われてたのが、7月中旬に。出走馬が集まらずに2週間早め6月下旬(現行)開催に変わってる。
ちなみに…。
天皇賞・春。平成元年の開催は4月29日(土・祝)だった。
日曜日はオープン特別(オーストラリアデー)だったように思う。
古馬牝馬のG1が創設されたのは秋華賞が創設された(注:3歳牝馬限定として)ときだから、96年か。
これによって3歳牝馬(年齢表記は現行のもの)の秋G1は3週ほど繰り上がった。(現在はさらに1週繰り上がっている)
ダートなんて…。
G3がいくつあったのだろう。
だけか。